書架とラフレンツェ

読書記録メモです。ネタバレがバリバリです。

なろう・カクヨムで短編小説を書いている皆さんへのブックガイド

※本記事は短編小説執筆ピヨピヨ初心者の方向けのものです。ベテランの方には特に参考にならないかと思います。

 

皆様、旧年中は大変お世話になりました。2023年もどうぞよろしくお願いいたします。

先日、こういうtweetをしたところ多くの作品のご推薦を頂きました。皆様の作品すべて拝読いたしました、ありがとうございました。

色んな作品を興味深く拝読したのですが、おそらくまだ比較的年齢層が若い方の作品で、どうも自分が読みたいものを表現できず”書ける”表現の枠内で書いてしまっているのでは?という点が気になるものが散見されました。以下の記事で田中一行先生も仰っている通り、自分が納得いく面白い作品を生み出すには自分の"書けるもの"を一旦脇に置き、"心の底から面白いと思えるもの"を書こうとしなければならない局面があります。

youngjump.jp

 

とりあえず、短編小説を書く場合はひたすら「物語の面白さ」の表現に専念し、キャラの容姿の美しさや世界の複雑な設定の描写等は放り投げておいた方が事故が少ないです。どうしてもそういうことをやりたければ長編でやりましょう。短編でそれらのことを表現したい場合、連作短編という形で少しずつ積み上げていくのが吉です。

また、文章の単位として「シーン」を書ききることに留意してみましょう。小説は絵や漫画とは違い、キャラクターの内面や情景の描写等の外観といったものをひっくるめてシーケンシャルに読者に提示していくメディアです。よく字書きの間で「情景が絵で浮かぶか、動画で浮かぶか」といった議論がなされますが、どちらにせよ小説というメディアである以上、すべての情報を一度にドーンとは出せません。必ず文章という形で順番に提示する必要があります。なので、読者に提示する五感の流れを意識し、どこからどこまでが一続きのシーンなのか?ということを念頭に置いて書くと読みやすくなります。例えば、キャラの容姿を描写するなら視線は一般的に上から下に流れる、とか、何かを食べているならまず料理の見た目、その次に香りがあり、その後に温度、味が意識に上ってくる、といったようなことです。この順番がぐちゃぐちゃになっていたり、観測主体が行ごとに違う人間に切り替わっていたりすると読者が混乱します。神の眼を含め、誰の主観でそのシーンを観測しているのかを意識し、シーンごとに書ききってみましょう。それができるようになってから野心的な文章に挑戦しても遅くないです。

 

わたしも一介の読者の立場に過ぎず、偉そうな口を叩けるご身分ではないのですが、己の筆力の限界が読みたいものを書かせてくれない、という苦しみは身に染みて分かるつもりです。以下のブックガイドが同じ悩みを持つ皆様の一助になればと願います。

 

さて、"書けるもの"の範疇から脱却し"心の底から面白いと思えるもの"にフォーカスするためには、まずロールモデルとなる面白い作品を読む必要があります。自己満足で書いた作品ならともかく、他人に見せる作品で(成功/失敗に関わらず)それが提示できていない、ということは、多分インプット不足かと思われます。アウトプットの質量向上はかなり難しいですが、インプットなら比較的楽にできます。小説を書いている人間が必ずしも小説をたくさん読んでいるとは限らないので、インプットの量ならベテランを捲ることも夢ではありません。ぜひ年末年始のお休みにご挑戦ください。

以下、ざっくり分野別に参考作品を挙げます。どれも単純に作品として面白いのですが、その上で面白さのエッセンスが分かりやすく、比較的再現可能な面白さを持っています。これらを読み「なぜ面白いのか」を考えてみると、書くべき題材のランクがもう一段階上がるかと思われます。現代でも比較的手に入りやすいメジャーな作品を選びましたので、ぜひお近くの書店や図書館へ足を運んでみてください。

 

掌編

稲垣足穂一千一秒物語』: キラキラしたファンタジー掌編を書くなら絶対に押さえるべき先行作品

夢野久作『いなか、の、じけん』: 陰惨系・ホラー系のフラッグシップ作品

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ホルヘ・ルイス・ボルヘス『怪奇譚集』: 「すこしふしぎ」系の作品ならあらゆる着想が網羅されている。

 

エモい・みずみずしい恋愛・青春小説

江國香織きらきらひかる』: エモの塊のようなシーンを連ねる手腕が見事。この分野をフォローするなら外せない。

スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー』: シチュエーション、そしてテリングでエモをかっさらっていく。他言語に翻訳されても失われないストレートなテリングの妙技は実に参考になる。

太宰治『駆込み訴え』: 人間の巨大感情を書く方法、手法としての一人称を選択する意味を考えさせてくれる名作。人称の選択は技法としての意味があります。なぜ一人称/三人称なのか?を説明できるようになれると素晴らしいですね。

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梶井基次郎桜の樹の下には』: 桜の樹の下に死体が埋まっている話のすべての元ネタはこれです。タイトルから叩きつけられる鮮烈なビジョンを決して出オチにしない、感情の暴力と言っていいほどの筆力から学べることは多いはずです。写経推奨作品。

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中勘助銀の匙』: 時代を超えてみずみずしい文章の手本。流れるような美文と情景の美しさは現代でも参考になる。

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連作短編(ミステリ)

アガサ・クリスティ『火曜クラブ』: ミステリとしての面白さと小説としての面白さの両立について学ぶなら、クリスティは格好の入門書になります。キャラの魅力を立たせ面白い謎解きを提示するためにどちらかを犠牲にする必要はありません。話のテンポの良さは大いに学べます。

アイザック・アシモフ黒後家蜘蛛の会』: キャラ萌えとミステリを両立させる上での重要参考作品その2。まず面白いストーリーを書ききる、その上でキャラの魅力がついてくる、ということの意味がよく分かります。

米澤穂信愚者のエンドロール』: 存命の日本人作家の中で最高の叙述作家である米澤穂信の傑作。ワイダニットとキャラ萌えを両立させるという稀有な手腕にはぜひ学ぶべき。

 

叙述

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『八岐の園』: 叙述ミステリの本質をストレートに表現している傑作。これが叙述トリックです。

テッド・チャン『商人と錬金術師の門』: 一人称体、主人公が自分の口で語ることの意味を教えてくれる作品のひとつです。くどいようですが、なぜその人称を選択したのか説明できることがベターです。

同氏の作品では映画化もされた『あなたの人生の物語』もまた傑作なのですが、ネタバレが横行しているためこちらの作品を選びました。

 

夢野久作『瓶詰地獄』: 話の構成を練ることの重要さを示してくれる一作。ごく陳腐な設定でも構成一つでここまで凄まじい作品にできます。ありきたりなネタしか浮かばないという場合、こういった作品を参考に情報を出す順番を考えてみてください。

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特殊文体(童話・擬古文等)

小川未明『野ばら』: 童話体で書かれた日本語文章の中で最も美しいものの一篇。童話体は文章の美しさと情景描写力が命です。小川未明は他にも美しい文章を沢山生み出しているので、ぜひ参考にしてみてください。

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芥川龍之介『開化の殺人』: 擬古文といっても時代によって色々と違うのですが、芥川龍之介によるものは文法的に明瞭で現代人でも読みやすく、参考にしやすいです。芥川は多様な文体で小説を書いていますが、どれも非常に品質が高いのでぜひ全作品読んでください。

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番外編

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という訳で、目についた作品数の多いジャンルからいくつか選んで参考作品をあげてみました。他の作品のご推挙、また他のジャンルの参考作品のお問い合わせ等随時受け付けております。お気軽にお声がけください。

 

それでは、2023年もよい創作ライフを!!

林芳正外務大臣の過去発言に心底驚いたので共有します

迷ったけれど一応読書感想文なのでこちらに。

 

 

自民党林芳正外相が以前、立憲民主党の元衆議院議員津村啓介氏と共著した以下の本があります。


かたや自民党のエリート世襲政治家、かたや立民の一般家庭出身議員という対照的なお二人が、ご自身のキャリアや職業としての国会議員について率直に語る大変興味深い本なのですが、林外相が執筆されているパートに以下のような文章があります。

二〇一〇年一月二十六日の参院予算委員会。(中略)「公共事業は一兆円の予算を使って一兆円の効果しかないからだめだ」と菅さんが言うので、「では、『子ども手当』の乗数効果は?」と尋ねてみた。「乗数効果」は、投資や政府支出が、最終的にどれだけの経済波及効果を生むかという値である。(中略)「乗数効果」や「消費性向」という用語を知らなかったのだ。

(中略)財務大臣にもかかわらず、経済学の初歩がわかっていなかったのは論外(後略)

 

林芳正津村啓介『国会議員の仕事―職業としての政治』中央公論新社 2011 p.203-204
(※中略は引用者による)

 

自民党、あなた乗数効果の存在を知っていたのか……???

 

この林大臣の証言が真実であれば、自民党は少なくとも2010年の段階で乗数効果の存在を知っており、以後の政策立案と検証は乗数効果を考慮して行われていたということになります。

 

乗数効果について詳しくは以下の本が分かりやすいのですが、

結論から言いますと、もし乗数効果を考慮して政府支出の使途を決めていたのであれば、自民党は今頃教育分野や医療分野に国債を積み増してでもガンガンお金を投資していたはずです。教育分野の乗数効果は2.4、医療分野は3.6であり、平均的な乗数効果の1.3に比べてはるかに高いからです。

もちろん乗数効果のみが政策評価の唯一絶対の指標という訳ではありませんが、我が国の政府はずっと「選択と集中」や「財政再建」を掛け声に政府支出を絞ってきました。選択と集中をするならば乗数効果の重視は当然ですし、財政再建をしたいならば国家にとっては絶対に勝てる賭けなので、経済合理性があればそうしているでしょう。

しかし現実は……あれ……???

 

そんな訳で、自民党の皆さんは乗数効果の存在を知らないからああいう政策をやってるんだろうな~~誰か自民党の皆さんにレクして教えてあげてくだされ~~~と思っていたのですが、乗数効果の存在を知っている上であえてこうなんだとしたら、それは選挙において投票先の判断に大きな影響を与える情報です。

とはいえ、林外務大臣のような見識の高い政治家にとっては乗数効果は当然見るべき指標でしょうが、他の皆さんがそうとは限りません。まず、国会ではどれほど乗数効果について議論されているのかを確認します。

以下は国会会議録検索システムAPIから取得した、2000年-2022年の国会発言で「乗数効果」という言葉が含まれていた数です。各政党別におおまかに色分けしてあります。改名した政党は今の名前にある程度直してあります。

「全体的に少ない……!」というのが率直な印象です。一番多かった2010年ですら一年間で50発言しかありません。ほとんど問題にされていない、というのが現実でしょう。その上で、民主党政権期間は相対的に「乗数効果」発言数が増えています。その次に発言数が多いのは2000年-2002年ですが、この期間はどちらかと言えば民主党の方が若干多く発言していたようです。

なお、当該期間全体での政党ごとの「乗数効果」発言数は以下の通りです。

自民党と立憲が圧倒的に「乗数効果」を話題にしています。この2党に比べたら他の政党は誤差の範囲です。

ただそれにしても22年間で100回程度しか話題にしていないということは、自民党も立憲も共に「経済学の初歩」など問題にしていないということになるかなと思います。

さて、国会議員の皆さんがそれほど乗数効果に関心がないと分かったところで、官僚の皆さんはどうかを調べてみます。我が国で政策評価を行っているのは財務省ですので、きっと乗数効果も確認しているはずです。

政策評価 : 財務省

財務省には財務総合政策研究所という機関があり、こちらで政策研究を行っています。

www.mof.go.jp

例えばこちらで『ファイナンシャル・レビュー』というそのものズバリな論文誌を刊行しております。刊行は年3回、1冊につき大体6本程度の論文を掲載していますので、1年間の掲載論文数は18本になります。2000年-2022年の間の掲載論文数は約400本程度ということになりますね。
フィナンシャル・レビュー : 財務総合政策研究所 (mof.go.jp)

他にも同研究所では数々のレポートを発行しておりますので、これらの中から「乗数効果」に言及した記事数を調べれば関心の度合いが分かるかと思います

早速調べてみますと、当該期間に乗数効果について言及された記事は48件でした。す、少ない……!財務省にとっても乗数効果は大した関心事でないと分かります。

 

以上の通り、大変残念ですが乗数効果を経済学の基礎であり初歩的な検証事項であるととらえているのは、自民党内でもおそらく林芳正大臣くらいであるということが分かりました。林大臣におかれましては、菅直人氏を詰める前に自党の皆さんに早急に経済学入門セミナーを開催し、基本的な政策評価手法の啓蒙に努められるとよろしいかと思います。

 

当ブログでは猛暑の中選挙に参加される皆さんを応援しています。

 

 

 

哲学のとっつきやすい本一覧

マシュマロで

哲学に興味があります。小説、詩、専門書、論文など形態は問いませんので、なにか取っ付きやすそうな本があればおすすめしてほしいです。

というご質問を頂いたのでこちらで回答します。
(なおマシュマロはこちらです; りりぱ文庫にマシュマロを投げる | マシュマロ)

 

もし哲学史に興味があるのであれば、つまりモンティ・パイソンの哲学者サッカーを見て笑えるようになりたいのであれば、いしいひさいち現代思想の遭難者たち』をおススメします。

同書は哲学史の丁寧な入門書シリーズである『現代思想冒険者たち』シリーズのために、四コマ漫画の名手いしいひさいちが書き下ろした哲学者マンガです。各哲学者の思想やエピソードがコンパクトな4コマに収められ、楽しく笑いながら哲学史を学ぶ指針を得られます。

 

もし哲学に興味がある、つまり人間や世界というものについての霊的な探求をしたいのであれば、あんまりとっつきやすくはないかもしれませんが思考への情熱を駆り立てる本がおススメです。以下の2冊は現代的な諸問題に対して網羅的で骨太ながら専門知識がなくとも読み進められ、かつ思考への強力な動機づけをしてくれるという点で強くおススメします。

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

 
ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

 

 なお、こうした本はほかにもたくさんあります。以下に挙げる本はやはり哲学への招待に向いたとっつきやすい本として紹介されることも多い名著ですが、いくつかの理由からそれほど強くはおススメしません。もしどれを先に読もうか悩む時があれば、ご参考までにどうぞ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 読みやすいカウンセリングブックではありますが、哲学ではありません。哲学したいという主眼からはずれるのではないかと思います。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

 刺激的な面白い本ではあるのですが論旨の網羅性に欠けます。西洋キリスト教史についての知識がないと同書の主張をいまいちくみ取れないか、誤解してしまうのではないかと思います。

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

 

 現代思想史について相応の知識がないと面白いとは思えないです。これを読めと言ってくるひとには警戒しましょう。

 

哲学史を学ぶにしろ哲学をやるにしろ、面白くやるコツは「推しを見つける」と「学んだことを実践してみる」です。哲学は意外と実践的な知が多いので、ぜひ色々試してみてください。

 

「シェイプ・オブ・ウォーター」「修道士は沈黙する」ネタバレ解釈

先日「シェイプ・オブ・ウォーター」と「修道士は沈黙する」を観たのだけれど、それぞれの作品解釈について軽くTwitterなどを眺めていたら自分と同じ解釈のひとが見当たらなくてちょっと焦りました。えっこれわたしの解釈がおかしいの??もしかしたら探し方が悪かっただけで同じ解釈はたくさん既出かもしれないし、もしくは本気でわたしの解釈がおかしいかもしれないけれど、とりあえず備忘録も兼ねてここに自説を開陳しておきます。

ネタバレを遠慮なくしています。気にされる方はこれ以上スクロールしないでください。

最初に『シェイプ・オブ・ウォーター』の話をして、次に『修道士は沈黙する』の話をします。

なお、この2作品に関連性は全くないです。単にわたしが最近見たというだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴種流離譚としてのシェイプ・オブ・ウォーター

 当作品が出た直後、この作品を「美女と野獣」の文脈で解釈したTweetがめっちゃバズっていた。曰く薄幸の美女イライザが異形の怪物と種族の差を乗り越えた真実の愛を築くという筋書だ。

えっでもこれ違うよね?話としては一種の貴種流離譚というかみにくいアヒルの子というか、だってイライザって本当は人間じゃなくて人魚だったってのがこの話のオチでしょ??だからキーイメージの二人が水の中で抱き合うシーンは思いっきりネタバレだったってことで、だからこそクッソーーーやられた感があった。

橋の下に捨てられていた孤児という出生、唖という伏線、そしてラストシーンでカッと開く首筋の傷、あれ鰓だったってことだよね?つまりこれは自分が人魚姫であることを知らなった健気なお姫様が王子様に見つけてもらい、艱難辛苦を乗り越えて無事本来あるべき王国へ帰る物語なのだ。だから半魚人の彼は醜い野獣ではなく最初から最後までれっきとした王子様であり、二人は種族の差を乗り越えてもない。

人魚である彼らにとって醜かったのはむしろ野蛮な敵種族としてのストリックランドであり、彼はさながら高貴なエルフの姫騎士を狙うオークだ。つまりこれは元来、人間の視線で描かれた物語ではなかったということだ。人間の話だと思っていたのは下賤な我々の思い込みでしたねー、ちゃんちゃん。

……という話だと思ってました。

シェイプ・オブ・ウォーター (竹書房文庫)

シェイプ・オブ・ウォーター (竹書房文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

ボルヘスの書いたみたいなミステリだった『修道士は沈黙する

ミステリ作家としてのホルヘ・ルイス・ボルヘスさんは非常に特徴的な作品を書くひとで、個人的に物凄く好きだ。分類としては叙述の一つということになるんだろうけれど、心の中では世界観ひっくり返し系ミステリと読んでいる。思う存分堪能するにはミステリのみを詰めた作品集である『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』がいいんだけれども、単にボルヘスの代表作として名高い『八岐の園』が十分にボルヘスのミステリの魅力を詰めこみそういうのが大好きなひとの心をわしづかみにする。わたしの中では、同作は短編ミステリで史上最高の傑作だ。

ええとつまり、この映画は多分ボルヘス読んでないとちょっと意味が分からない。というかほぼほぼ『八岐の園』のまんまで、道具立てとか演出、ストーリーテリングに手を加えて映画の尺まで伸ばしたといった印象だ。

この作品を宗教や倫理、哲学を絡めた難解な作品だという解釈をいくつか見たが、いやそうじゃない。そういう衒学ネタは全部『八岐の園』にあったそれと同じ目くらましだ。

うまく文章にならないから以下要点を箇条書きで;

  • ロシェがサルスを選んだのは、彼の前職が数学者で数式を理解し一発暗記する能力があると知ったから。自殺についての考えが合うとかいうのは嘘ではないが後付け。
  • ロシェは"例の計画"を潰す気だった。その動機はおそらく、自らの死期を悟り菩提心を起こしたから。非人道的な計画に対する罪悪感は人並みにあったと思われる。
  • ロシェは例の計画を潰す上で、自分ひとり反対しても少数派になり無意味だと思った。かといって自分が直接告発すれば、全世界的に深刻な金融危機に陥る。できるだけダメージを最小限にとどめつつG8の仲間たちに思いとどまってもらうには、自分たち以外の無害な第三者に計画が漏れたと思わせる必要があった。
  • したがってロシェは告解自体をしなかった。告解すればサルスはその内容を永遠に公表しないから。
  • サルスがロシェの自殺の知らせに驚いたのは、告解しないままだ自殺なんて修道僧である彼の理解が及ばなかったから。 上記のロシェの目的を当初サルスは理解できなかった。
  • サルスがロシェとの会話内容を明かさなかったのはそれが告解で戒律に抵触するからではなく、単純にロシェの意図を図りかねたので慎重になっていた。
  • サルスは他の閣僚や彼の友人たちと迂遠な哲学的会話をする中で、次第にロシェの意図を悟り、最終的に告発を決意しラストの説教につながる。この辺りのテクニックがほんとボルヘス

もうこのサルスのことを著書で知りましたとかいうくだりがかなりボルヘス味。しかも本作はロシェはサルスを信じて死んでるので、はぁとうとい…… 

いやはや、野心的なミステリでした。そもそもの謎がメインの謎でなかったっていうかそういう話だったのー?!っていうやつ本当に好きです。神秘的・哲学的な道具立てとは裏腹に、オチの実もふたもない俗っぽさとのギャップがツボ。

ただ映画としては起伏に欠けたので慣れてないひとは眠たかったかもな……

 

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件

ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件

 

発達障害、逃げ癖、依存……その「生きづらさ」は治るかもしれない

本稿で言いたいことは

  • 発達障害やパーソナリティ障害などと呼ばれている精神疾患の一部は誤診で、本当は「複雑性PTSD」と呼ばれる後天性の病気
  • 複雑性PTSDは最長でも数か月で根治する療法がある。
  • (複雑性)PTSDは脳の機能障害であり、「考え方を変える」認知療法やカウンセリングではなく身体を介して脳に直接アプローチする療法が効果を上げている。

の3点です。でもわたしはどちらかと言えばむしろ患者側で精神科医ではないし、これから書くことは読んだ本の受け売り。可能であれば id:p_shirokuma 先生に詳しいお話をお伺いしたい。本当の話なのだとしたらまさに福音だけれど、真偽はどうかご自分でお確かめください。

 

まず複雑性PTSDの話から

詳細は下記の本に詳しい。文庫で読みやすい。

 PTSDというのは戦争や災害などの大きなショックで心に難治性の傷を負った疾患だけれど、複雑性PTSDはそういう大事件を原因としない。いじめ、虐待、その他長期にわたる対人関係上の不具合を原因とするPTSDで、罹患者本人がその原因を明確に覚えていない場合も多い。

また、明確な「加害者」を見いだせない場合も多い。もし子どもがもう少し図太い性格だったら・親がもう少しおおらかな性格だったら精神疾患にまで至らなかったと思えるような、第三者から見たら実に些細な事柄が原因となることもある。

ただ、これは決して患者が甘えていたからとか弱かったからということではなく、飛行機から落ちても無傷のひともいれば50㎝の高さから落ちて亡くなるひともいる。確率や運不運の問題と解釈した方がより正確なのではないかと思う。つまり、「被害者」「加害者」どちらを責めても問題の解決にも再発の防止にもならないのだ。重要なのは治ること、症状が改善することであって、犯人探しではない。

さて複雑性PTSDはその症状の顕著な特徴のひとつとして、自分や他者への強い不信感がある。その結果

  • 強い見捨てられ不安
  • 対人過敏
  • 記憶障害
  • 親しくなることへの恐怖や忌避感
  • 不眠や怒りの爆発といった覚醒亢進症状
  • 他者を敵味方や上下関係で見る極端な二元思考
  • 自己破壊的・衝動的行動
  • 失感情症や離人症

といった対人関係上の問題が起こり、複雑性PTSDと診断されない場合はそれぞれの症状に合わせてアダルトチルドレンとか境界型パーソナリティー障害などと呼ばれたりしている。

また、更に研究がすすめられた現在ではADHDASDといった生まれつきの発達障害とされているものの一部も、幼少期に受けたトラウマが原因で生じた脳の機能障害によるものとする指摘もある。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法

 

後述するがトラウマ体験は何歳の時に受けたものかで症状が異なり、ごく幼い頃のものの場合は落ち着きや他者の表情を読む能力といったものが失われる。発達障害は純粋な先天性の障害ではない可能性もあるのだ。

本書の著者であるボストン大精神科教授のベッセル・V・D・コークらはPTSD患者の脳をfMRIスキャンし、トラウマ体験を思い出している時の患者の島や頭頂葉や前帯状皮質といった「身体感覚と情動や思考」を統合し、コントロールする領域がマヒしていることを発見した。

このような結果の説明は一つしかありえない。これらの患者は、トラウマ自体への反応として、また、ずっとあとまで残っていた恐怖に対処する中で、特定の脳領域の機能を停止することを学んだのだ。

 

 - ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する』P.152 紀伊国屋書店, 2016

つまりPTSDとは脳神経医学的に見ると「恐怖によって身体感覚を喪失し、身体を意図通りに動かすことができなくなる脳機能障害」なのだ。

この見方は従来からのPTSDの概念にも合致する。 

本書で述べる「コントロール感覚」を簡単に定義しておくと、「自分が自分の人生をある程度コントロールできている」という感覚のことである。

(中略)コントロール感覚を支える基本は、自己・他者・世界へのある程度の信頼感である。「自分がなんとかできるだろう」「他人が何とか支えてくれるだろう」「まあそんなにひどいことも起こらないだろう」という、暗黙の信頼感があってこそ、私たちは毎日を何気なく生きることができる。

トラウマを体験すると、この基本的な信頼感が失われる。

 

水島広子『トラウマの現実に向き合う』P.46-P.47 創元社, 2015 

 脳のマヒによって意図通りに思考や感情や身体が動かせなくなったPTSD患者はパニックに陥り、それが更なる恐怖と不信感、無力感を生む。このサイクルを自覚しようにも、身体感覚の知覚や統合ができなくなっているので何が起こっているのか自分では分からない。これがPTSDという病気の実態なのだ。

それで、どうやったら治るの? - 身体で治すトラウマ治療

PTSDが脳のマヒということは、そのマヒを物理的に除去すれば治るのではないだろうか?こうした考え方に立つと、傾聴やトークセラピー、認知療法など「身体に触れない」方法でPTSDを治そうとする方が非合理的に思えてくる。前掲書では

PTSDに対する認知行動療法の臨床研究中、公表されたうちで最大規模のものでは、三分の一を超える参加者が脱落し、残りの人々には数多くの有害な副作用があった。

 

 - ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する』P.362 紀伊国屋書店, 2016

とバッサリだ。そして新たなトラウマケアとして以下のようなものを挙げている。

  • マインドフルネス
  • EMDR(トラウマ体験を思い出しながら眼球を一時間ほど左右に動かし続けることで記憶の再統合をはかる)
  • ヨガ
  • 副交感神経を刺激するマッサージやEFTといったタッピングセラピー
  • ニューロフィードバック

他にも紹介されている療法は色々あるが、個人的にはEMDRとヨガの劇的な効果に目を奪われた。

EMDRはどちらかと言えば成人後にトラウマ体験をしたひとやトラウマ体験を比較的はっきり思い出せるひとに向いており、早ければ1回で治療が完了する。長くても10回前後で充分な治療効果が表れ、日本でも専門の医療機関で受けられる。

また、ヨガはごく幼少期にトラウマ体験をしたひとや、原因となるトラウマを思い出せないひとに向いているようだ。トラウマケアに特化したヨガ・プログラムを実践すると、早くて一週間強、長くても一年弱で充分な治療効果を発揮し、ASDADHDといった発達障害にも効果を発揮する。詳細は以下の本に詳しい。

トラウマをヨーガで克服する

トラウマをヨーガで克服する

 

 何にせよ重要なのはPTSDは心だけの問題ではないということだ。トラウマは物理的な脳の機能障害をもたらし、その結果数々の感情や思考といった"こころ"の不具合を生む。我々は心の問題は心にアプローチすることで解決しようとしがちだ。だからカウンセリングや認知療法のみでなんとか対処しようとする。

しかしその疾患の真の原因は脳に発生した器質的な障害だから、効果的に治療しようと思ったら脳そのものにアプローチする必要がある。薬物療法は脳に直接アプローチする方法のひとつだが、あくまで対処療法でしかなく、脳の構造そのものを治療する訳ではない。

 

なお、家族や親しいひとがPTSDを罹患した場合、接し方や考え方を知る上で以下の本が参考になる。

 

わたし自身のセルフ人体実験結果としては記憶の再統合とEFTは結構効いた。多分これは神が人体に用意しておいたデバッグバックドアではないか。今はヨガに興味があります。

もし興味があれば、ぜひ自分に合った方法を調べてみてください。一生つらい思いをする必要がないかもしれないなんて、実に素晴らしい話だと思いませんか?

 

 

「何度言っても分かってくれない」を精神医学的に解決する

本当は「自分の機嫌を自分でとる方法」の参考になる本を紹介しようと思っていたのだけれど、違うテーマになりました。でも、「自分の機嫌は自分で直したいが、他人の所為でなかなかうまくいかない」と考えている方の参考になると思います。

 

家族や職場の同僚・上司になかなか自分の意図を汲んでもらえない、何度言っても分かってもらえない、そうしたことがストレスになり、自分の機嫌を自分でとれと言われても難しい場合がある。本稿ではそういう問題に精神医学的に正しい方法で対処するための参考書を紹介する。

人間関係の調整、円滑なコミュニケーションそのものの成立をもって治療法とする精神療法があり、対人関係療法と呼ばれる。わが国では水島広子先生が第一人者で、実のところ「この本読め」でわたしの言いたいことは終わる。

自分でできる対人関係療法

自分でできる対人関係療法

 

よくあるゆるふわで断片的なコミュニケーション本とは一線を画す、精神医学的にエビデンスのあるコミュニケーション改善の方法がその根拠とともに理論的かつ濃密に説明されている。問題の原因となる「貧弱なコミュニケーション」の実例と改善の方法がふんだんに紹介されていて、こんなことまで言語化が可能なのかと驚かされるものもある。取り上げられている事例は

  • 夫婦関係
  • 嫁姑関係
  • 親子関係
  • 職場の上司との関係
  • ママ友との関係
  • やたらとプライベートに踏み込んでくる友人との関係

といった大抵の問題になりがちな人間関係を網羅しており、自分を悩ませる相手との関係に合致したものも見つけられるはずだ。

少し長くなるが一例として、夫に隠れて子供を虐待している母親(イクジさん)と治療者(私)との会話分析例を引用する。

私「お連れ合いは、イクジさんが(虐待で)悩んでいるということを知っているんですか?」

イクジさん「そう思いますよ。私、ここのところ家では笑顔も出ませんから。食欲もなくて痩せたし」(自分の気持ちが相手に伝わったと思い込んでいる)

(中略)

私「先ほど、仕事が忙しいから悩みを聞いてくれないとおっしゃいましたが、聞いてくれなかったのはどんなときだったのですか?」

イクジさん「この前、思い切って『私はよい母親ではないような気がする』って言ったんです(曖昧で間接的なコミュニケーション)。そうしたらまともに取り合ってくれなかったんです」

(中略)

イクジさん「ああ、やっぱりこの人は私の悩みなんて聞きたくないんだな、と思ってあきらめました」(相手の言い分を理解したと勝手に思い込む)

私「そう伝えたのですか?」

イクジさん「いいえ、言っても無駄だと思ったので、何も言いませんでした」(沈黙、つまりコミュニケーションの打ち切り)

同書ではこの会話に続けて

このように貧弱なコミュニケーションでは、イクジさんが深刻に悩んでいるという事実すら夫には伝わっていないだろうということを理解してもらいました。

とある。つまり、綿密に各発語にダメ出しをした上で改善策を提示しているのだけれど、多くの方にとって上記の会話はどこがダメなのか分からないレベルではないだろうか。

同書では自分の言いたいことを誤解なくはっきり伝え、かつその際に相手を傷つけない方法を細かく説明している。また夫婦を含めた家族関係に特化した対人関係療法解説書として以下のものもあるので、「自分のストレスの種は無理解な家族だ」と思っている方には併せて強くお勧めする。

対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係

対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係

 

詳細はこれらの本にあるが、対人関係療法では家族や配偶者などの「重要な他者」との関係の質を重視し

  • 言語によるコミュニケーション方法の改善
  • 役割期待」という自分や相手への意識的・無意識的な期待を見直す
  • 互いの役割期待のズレの程度を推しはかり、調整する

といったプロセスによって問題を解決していく。

なぜ、何度言っても伝わらないのか?自分の言い方のどこが悪いのか?こんなひとたちと付き合い続ける中で、どうやったら自分の機嫌を自分でとっていけるのか?そうした悩みを持つ場合、水島広子先生の本を片っ端から読んでいくと大いに参考になる。

「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える

「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える

 

 

そもそも対人関係療法って?

対人関係療法については前掲書を読めばわかるが、 ここでも軽く解説しておく。対人関係療法とは多くのストレスの原因が対人関係、それも「重要な他者」との関係にあるとの前提に立ち、それを改善することで各種の精神疾患に対処していく精神療法である。

「重要な他者」とは具体的には家族、特に既婚者の場合は配偶者であり未成年者なら親のことだ。そしてその次にプライベートの友人や親戚があり、最後に職場の同僚など仕事上の人間関係がある。この重要度の順番は原則として覆らない。

以前、会社員のメンタルヘルスに関わっている方たちを対象にした講演でこの図を用いて説明したところ、「この図は一面的すぎる。会社員の中には、もっとも親密なところに仕事上の関係者がいるケースもあるはずだ」という意見が出されたことがあります。私は、「そういう状態がすでに不健康なのです。家族と仕事上の関係者が逆転してしまっていることが、精神的なもろさをつくってしまうのです」と説明しました。

--水島広子『自分でできる対人関係療法』2004, 創元社 (太字は引用者)

この考え方はアドラー心理学における「全ての悩みは人間関係の悩みに還元され、究極的には真の幸福は「わたしたち」の間に築かれる愛をおいてありえない」という考え方と類似している。

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

アドラー心理学に親しんだひとなら、対人関係療法の「重要な他者」概念を理解しやすいだろう。

「自他の課題を分離する」というアドラー心理学のテーマも、対人関係療法における「役割期待の調整」に類似を見ることができる。アドラー心理学の実践編として対人関係療法にアプローチしてもよいかもしれない。 

ネトウヨとブサヨとで話が通じない理由 『社会はなぜ右と左にわかれるのか』

 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
 

(本書は主にアメリカの話ですので、日本で言う保守主義やリベラル等といった言葉とは意味合いが違う場合があります)

 

 大脳生理学や進化論の観点から、人間の倫理観や正義感、政治的信条に差異が生じる理由を探る一冊。

スティーブン・ピンカーリチャード・ドーキンス、アントニオ・ダマシオ等の議論の延長線上にあるものであり、事実本書の一部はピンカーによる下読みが入っている。

またドーキンスはたくさん引用されるものの、特に第11章「宗教はチームスポーツだ」はほぼ丸々『神は妄想である』の批判?になっている。つまり、宗教はウィルスのように伝染するミームであることを認めつつも、それは人類の集団的淘汰に有利に働いたという主張が展開されている。

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

 

 他にもいくつかの興味深い主張をまとめてみる。

人間の正義感は味覚のようにハードコーディングされている

人間には生まれつき「甘い」「塩辛い」といった味覚があるように、正義感も生まれつき備わっている。そして味覚がそうであるように、正義感にもいくつかの種類があり、その強弱や嗜好、それを感じ取るトリガー条件は生まれ持った特徴のほか、生育環境で変化・成長していく。

これらの正義感はいずれも人間が進化していく過程で集団を志向し、その結果人間の身に固定された物だ。

人間の正義感の軸は以下の6種類:

  1. ケア/危害 ……幼子に対する庇護心「自ら身を守る方法を持たない子どもをケアすべし」
  2. 自由/抑圧……個人の自由意思の尊重、あるいは集団への協調の重視
  3. 公正/欺瞞……利己的・詐欺的な行動への嫌悪感「他人につけ込まれないようにしつつ協力関係を結ぶべし」
  4. 忠誠/背信……共同体への帰属意識「連合体を形成し維持すべし」
  5. 権威/転覆……目上の者への尊敬「階層的な社会のなかで有利な協力関係を形成すべし」
  6. 神聖/堕落……清潔志向・穢れた物への忌避感。元は毒のある食物や病原体を避けるためのもの

一般的に保守主義者は上記6つへの志向がほぼ均等に割り振られているが、リベラルは前半3つへの志向が強く、後半の3つはほとんど気にしない。またリバタリアンは2、3への志向が強く、他のものを重んじない。

また、これらの感情が生じるトリガーには文化差がある。例えば可愛い動物への庇護心は1の軸が拡張されたものだが、具体的にどういう動物に対して発動するかは文化圏によって異なる。6の軸もまた、何をもって「穢れ」とするかにいかに文化差があるかは言うまでもない。

これらの軸の組み合わせによって浮かび上がる個々の正義感を、本著では「道徳マトリックス」と呼び、原則として個体差があるものとしている。

ヒトの気持が解らないのはリベラルの方?

これを受けて、相手の政治的立場を想像させると興味深い結果になる。

保守主義者にリベラルの賛成しそうな政策を推測せよ、という課題を出すとかなりの好成績を出すが、リベラルは保守主義者が弱者への保護政策に反対するだろうという誤った推察をした。

正義感の6軸は実運用上は相反するものもあるから、自分の重視しない他の軸を重視している保守主義者を見るとリベラルは自分の軸が軽視されたように感じる。しかし、これは誤った認識。

雑食動物のジレンマ

そもそもこのような正義感の違いがなぜ生じるかというと、人間が雑食動物だったことに端を発する。

雑食動物であった人間は色んな未知のものを食べられるかどうか検証し、エサの種類を増やして反映していく必要があったが、未知のものばかり食べていると毒に当たって死ぬ確率が高まってしまう。このジレンマを解消するため「未知のものを積極的に食べたがる好奇心の強い個体」と「よく知っている物しか食べたがらない保守的な個体」の2傾向が現れるようになった。

こうした違いは生まれつきに存在し、生育環境がその強度や発現条件を規定していく。これは脳内の活動状況や放出されるホルモンのレベルで(つまり、器質的に)異なる。

一般的に、好奇心が強い個体はリベラルになりそうでない個体は保守主義者になる傾向がある。

理性は感情という巨大な象に乗っている小さな御者にすぎない

人間の意思決定にはまず感情がある。特定の状況を前にして人間は即座に何らかの神経伝達物質を放出し、それが対象への好悪を規定する。理性はそれを正当化するための理屈を捻り出し感情を保護するのが第一の仕事で、「感情」という象を力づくで制御する力は「理性」というちっぽけな御者にはない。

ただ理性が感情に対してまったくの無力かというとそういう訳でもなく、御者が象を知り象の気持に寄り添うことで象を目的地に導けるように、理性の方が感情の先手を打ち感情を優しく「説得」することで考え方をより良い方向に変えられる。象は賢いのだ。

(この辺の議論は、個人的には引用されている文献の他『ファスト&スロー』が理解に役立った)

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
 

 宗教や伝統はどこまで社会の害悪か

リベラルの多くは宗教や伝統といったものへのコミットを嫌うが、こうしたものへの嗜好が人間の多くに備わっているのは、それが人間という種の進化に有利に働いてきたという実績があるからだ。事実、完全な功利主義・利己主義の集団よりも宗教的価値観に基づいた利他主義を持つ集団の方が結束が固く生産性が高いという調査結果もある。

著者のジョナサン・ハイトは以前はバリバリのリベラルで、保守主義者のことを物の分からない人間たちだと思っていたが、彼らが自分たちとは別の人類にとって有益な価値観に依拠していると知って見方が変わる。

人間は社会的な生き物であり、人間の集団から離れては生きられない。ならば集団を維持するために必要な慣習であれば、それが一部では不利益を生むとしても闇雲に攻撃するべきではないのではないか?

このように考えてみると、あたかもリベラルは、たとえコロニーを破壊することになっても、その構成メンバーたるミツバチ(実際に助けを必要としている)を救おうとしているかに見える。そのような「改革」は、結局社会全体の福祉を損ない、リベラルが助けようと思っていた犠牲者に、さらなる害を及ぼすことすらある。

(P.474『第12章 もっと建設的な議論ができないのか?』)

 人間が生まれつき多様な主義主張を持つようハードコーディングされているのは、それが人類という種の繁栄に役立つからだ。

中国哲学における陰と陽は、外部からは対立しているように見えるが、実際には相互に依存し合う、補完的な二つの事象を指す。夜と昼、寒と暖、夏と冬、男性と女性は敵同士ではない。

(P.451『第12章 もっと建設的な議論ができないのか?』)

理解できない考え方を持っている人間は自分の足りない部分を補うために生まれてきてくれたのであり、敵ではない――そう考えるようにすると、少しはうまくやれないだろうか?

ロドニー・キングが言ったように、誰もが、ここでしばらく生きていかなければならないのだから、やってみようではないか。

(P.486『第12章 もっと建設的な議論ができないのか?』)