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書架とラフレンツェ

読書記録メモです。ネタバレがバリバリです。

暴力・愛・没入 -- 井戸ぎほう『夜はともだち』

漫画

偶には腐女子らしくBL本の感想でも。 

夜はともだち (POE BACKS Babyコミックス)

夜はともだち (POE BACKS Babyコミックス)

 

 男子学生2人のBL。真性ハード系ドMの無口な飛田くんと、本当はSでもなんでもないのに飛田くんのために彼を暴行し続けて病みかける真澄の話。あらすじの説明は以上で、ここから先はネタバレを含む感想文です。もっと詳しく本作について知りたい方はこちらをどうぞ。

honz.jp

 

これは男女間では成立が難しい物語だ。男性二人の恋愛を主題にするはっきりとした理由が本作にはある。男女間での暴力、DVを取り扱った作品は非常に多く、また現実世界でもよくある話とされている。大抵暴力を振るう側は男性であり、振るわれる側は女性だ。非常によくある話だからこそ、その物語は類型化されて多様な派生的イメージを持つ。例えば「差別」や「心の病」、「貧困」などなど----こういうものを描くために男女間の暴力が題材とされることも多い。
また男女を逆にした場合、それはそれで別の派生的イメージを生む。粗暴な性格であったり、あるいは身分の高い女性が男性に(広義の)暴力を振るう物語もたくさんあり、それは往々にして女性側の活発なキャラクターイメージと男性側の大人しい性格の対比、あるいは苦労といったものを描くために導入されるエピソードとなる。
いずれにしろ親密な異性間に持ち込まれる暴力は、男女間の乗り越えられない性差(厳密に言うと体格差)というものを前提としている。その差が暴力を振るう側と振るわれる側に非対称性を持ち込み、暴力は自明な搾取の手段となる。そういうのが、本作を成立させる上でかなり邪魔な要素となってしまうのだ。


飛田くんと真澄はどちらも健康な男子であり、二人の間には体格差がほとんど見られない(実は設定上飛田くんの方が真澄よりやや身体が大きいらしいけれど)。お互い日本人の学生なので、社会的地位の差などといった要素も存在しない。まったく対等な関係における暴力というものを描くのにこれ以上の設定はなく、それが本作において暴力を媒介として成立する愛、というテーマを純粋な形で浮かび上がらせている。
真澄の飛田くんに対する一方的な暴力が成立している理由は、単に飛田くんがそれを望んでいるからだ。それどころか真澄は暴力的な関係など望んでおらず、飛田くんと「普通の」関係を築こうとして苦悩する。しかし飛田くんの性的嗜好はゆがみまくっているので、暴力を媒介としない愛を彼は受け取れない。

「好きなひとに暴力を振るうなんて嫌だ」と思う真澄と「好きなひとに暴力を振るわれたい」と願う飛田くんの気持は最後まで妥協も止揚もされず、ラストシーンでも性的嗜好においてこの二人はこれからも一致をみることはないだろうと予想される。何しろこの二人はそれを理由に一旦破局しているのだ。つまり性愛の物語としては、本作はバッドエンドだ。正直、この二人がこれから先の人生において性的嗜好の不一致を理由にまた破局したとしても「せやな」以上の感想はない。
ただ暴力の媒介によって培われた「愛」の物語として本作はハッピーエンドだ。少なくともこのラストシーンをバッドエンドと受け取る読者はいないだろう。最後の最後で、真澄は飛田くんが性的パートナーとしてのみでなく、自分という人間を求めてくれていたことに気づく。その表象においてまったくかみ合わなくても、それでもなお二人の間で愛は成立していたのだ。


物語は真澄視点で進行するので、真澄が飛田くんに対して抱く恐怖は明確に読者の前に提示されている。それは他人に暴力を振るうことに対する恐怖であったり、理解できない性的嗜好に対する恐怖であったり、そして何より「自分は愛されていないのではないか」という恐怖だ。例え飛田くんの望みとはいえ、彼に暴力を振るい続ける自分が彼に愛される訳がない、なぜならば暴力は搾取の手段だから……という理路が本作中で説明されている訳ではないが、まあこのくらいは妄想の範疇として許可されるだろう。またそれに加えて、飛田くんが自分なりの「普通の」愛し方というものを受け入れてくれない、というのも自分が愛されていないとする根拠として挙げられるが、これは表裏一体の問題だ。つまり、愛の方法論的な課題なのである。 

愛するということ

愛するということ

 

 エーリッヒ・フロム先生も指摘されるように、愛は技術だ。誰かを愛する方法があり、また愛を受け取る方法があって二者間に愛が成立する。ここが根本的に噛みあわない場合、愛の成立は困難だ。愛の重要な機能の一つである孤独の解消、関係への没入が達成されないからだ。

飛田くんと真澄の方法は噛みあっていない。しかし奇妙なことに成立はしている。最初は真澄が飛田くんの求める方法に徹底的に合わせ、奉仕することによって、最後は飛田くんが真澄の理解できる方法で自分の愛を示すことによって。ただし、やはりそこに至る手前の段階では、少なくとも真澄の側はセックスに没入できておらず、飛田くんとの一体感も孤独の解消も得られていない。

お互いの方法が全くかみ合わない場合でも、片方が自分の方法を押し殺し、相手に合わせることによって短期的には愛が成立する。しかしそれが永遠に続く一方的な奉仕である場合、いずれは破局する。ただ例え最後はそうなったとしても、一度は愛を成立させようとして極限まで行った努力はきっと相手に受け止めてもらえるし、相手の心に愛を生むはずだ ---- というのは最高に甘ったれた幻想だけれど、しかしこれはBLだしだがそれがいいんだよッ!!ラストに至るまでの真澄の心痛を思い知らされている読者は、この結末を別にご都合主義だとは思わない。真澄はこんなに奉仕したのだから、報われて当然なのだ。その点でちゃんとカタルシスのある、読後感のよいまとまりのある良作となっている。

これは余談だけれど、いわゆる「セックスから始まる恋愛」を描くのにBLというのは適したプラットフォームだと思う。フェミニストの主張を引くまでもなく異性間の性行為は暴力のようなもので、どうしても非対称性と搾取の構造的なイメージが付きまとってしまい、ある特定の事例における個別の愛を余計な要素なしに描くのは難しい。その点対等な同性間の性愛には、そういった身体の差異にまとわる非対称性だの差別だのは最初から捨象されている。だからポリティカル・コレクトネスに違反するようなエピソードや演出にハラハラすることなく安心して読める……ような気になるんだよね。


結論: 面白かったです(^p^)