書架とラフレンツェ

読書記録メモです。ネタバレがバリバリです。

企業に成長戦略は必要か

経営改善というテーマについて口酸っぱく言われる施策のひとつに「成長戦略を作成し、それを全社員で共有しよう」という話がある。たとえば『How Google works』でも、冒頭部分に「まともな企業としての体裁を整えるため」数値目標はないものの、Googleのこれからのグランドデザインを急ピッチで作成するシーンがある。 

How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス)  ―私たちの働き方とマネジメント

How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス) ―私たちの働き方とマネジメント

 

 しかしそれと真っ向反対の主張も存在する。たとえば『強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」』の前著『小さなチーム、大きな仕事』では、計画表を作るだなんて無駄な作業はやめて目の前のことに集中しろ、成果は後からついてくるものだ、的な主張がなされている。 

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,黒沢 健二,松永 肇一,美谷 広海,祐佳 ヤング
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
  • メディア: 単行本
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しかし同書の中でも、やるべきこととやらないべき事項を峻別し、後者は徹底的に捨てろと唱えられている。やるべきこととやらないべきこととを峻別するためには、その基準となる何らかのポリシー――たとえば「成長戦略」が必要なのではないのか?

一体、何をどうすればいいと言うのだろか。

Joel on Software』の「射撃しつつ前進」に興味深い記述がある。

私の会社のように小さな会社には、射撃しつつ前進は2つのことを意味する。あなたは時間を味方につける必要があるということ、そして毎日前へ進む必要があるということだ。遅かれ早かれあなたは勝つだろう。(中略)毎日私たちのソフトウェアは良くなっていき、より多くの顧客を獲得する。それが重要なすべてだ。私たちがOracleサイズの会社になるまでは、私たちはグランドストラテジーについて考える必要はない。私たちがしなければならないのは、ただ毎朝やってきて、どうにかエディタを立ち上げるということだ。

 これはどちらかと言えば『小さなチーム、大きな仕事』の主張に近いが、話が企業の規模に触れている。旧37シグナルズ(現Bootcamp社)もまた比較的小さな企業なので、どうやら企業規模と成長戦略(グランドストラテジー)の必要性の間には関係がありそうだ。

 

そもそも、企業が成長戦略を必要とする理由はなんだろうか。企業経営とは目的に従って経営資源を管理・分配することだから、当然成長戦略もそれに関わる。つまり、経営資源の管理・分配の根拠となる「目的」。それが今後数年~十数年というスパンにおいて策定されたものが成長戦略だ。

一定の分量の経営資源(ヒト・モノ・カネ・時間・情報)を自分の判断で管理・分配できる権能を決裁権という。例えば一定額のお金で業務に必要な買い物ができたり、新しく誰かを雇い入れたり、あるいは誰かをクビにしたりできる場合もある。一般的な企業では経営陣を含む管理職が自分の職能に応じた決裁権を持ち、その範囲内で日々の業務を行っている。

そしてもちろんだが、決裁権所持者の間で管理・分配のポリシーはある程度統一されていなくてはならない。てんでんばらばらなやり方で限りある資源を分配されてしまったら資源の浪費になるし、場合によってはコンフリクトさえ生じてしまう。

決裁権所持者の間でこのポリシーを統一する方法は2つある。ひとつは、できるだけ決裁権を持つ人間の人数を減らし、またそれらの人間の決裁権量をツリー状に体系化するやり方だ。大勢の人間でひとつのポリシーを共有するのは大変だ。だからできるだけ人数を減らし、かつツリー上に組織して下位の人間の決裁権を上位の人間よりも必ず小さくすることで、判断ミス時の被害を最小限に防ぐ。この方法の利点は、複雑なポリシーを最小労力で運用できることと、例外事例が発生した場合に「上の人間に投げる」というたった一つのやり方で処理できることだ。運用コストの小ささから、伝統的な企業ではこのやり方が好まれており、古典的な組織デザインの教科書でも特別な理由がない限りこのようなやり方で組織を設計するのが実用的だと説かれている。

組織デザイン (日経文庫)

組織デザイン (日経文庫)

 

 デメリットとしては、決裁権を持つ人間が少なくなるために意思決定が遅くなること、また意思決定の硬直化を招くことだ。このやり方を採用した場合、意思決定ポリシーとしての成長戦略を全社員で共有する意義は薄れ、どちらかというとモチベーション向上のためという側面が強くなる。

企業内で資源の分配を伴う判断は数多く発生する。この顧客の返金要求に応じるべきか?この機能を実装するべきか?このプログラマを採用するべきか?多彩な状況に対応できるほどの複雑なポリシーはなかなか組織構成員全員での共有は難しい。一説には30人が限界だと言われている。マニュアル化・明文化で対応するにも限度があるだろう。だから大規模組織の運営では、決裁権所持者の人数を制限するやり方が楽だ。

さてもうひとつのやり方が、必要最大限の決裁権を組織構成員にばら撒いた後で、何が何でもポリシーを全員で共有する方法だ。かなり大変な道だが、不可能という訳ではない。「クレド」を教育されたスターバックスの店員にある程度の臨機応変な判断が許されていることは知られているし、日本でもアメーバ経営という効率化の方法が稲森和夫によって提唱され、一定の成果を上げている。

アメーバ経営 (日経ビジネス人文庫)

アメーバ経営 (日経ビジネス人文庫)

 

 この方法のメリットは、何といっても意思決定の早さだ。現場の人間がそれぞれ必要な意思決定をその場でバリバリ行うので、色んな問題が瞬時に解決する。また権限移譲により、管理職の負荷が減る。管理職が管理業務に専念している訳にはいかないような小さな企業にはうってつけだ。また、昨今の企業にはとかくスピードが求められる。そのため、大企業にもこのやり方が取り入れられつつある。全社員にポリシーを理解できる"素質"があるならば、運用方法に工夫が要るものの不可能ではない。

デメリットは判断ミス時の損失が大きくなりがちなところだ。また決裁権所持者の人数が増えるため、判断ミスが発生する確率も高まる。したがって、このタイプのやり方を採用するならば判断ミスの発生を前提としてあらかじめ対処法を考えておかなければならない。

 

最初の話に戻ろう。もし成長戦略

  • 誰か偉いひとが作り、下位の人間に通知するもの
  • 明文化されるべきもの

だと見なすならば、それが全員が決裁権を持つような小さな組織には必ずしも必要でないことが分かる。そのような組織では偉い人もへったくれもなく、また明文化するまでもなく普段の綿密なコミュニケーションでカバーできるだろう。おそらく、そのような組織の「成長戦略」は緩やかな合議で決まる、雰囲気のようなものだ。

ただし、例え全員が決裁権を持つタイプの組織だとしても、人数が200人を超えるなどという規模になってくると話が変わる。さすがに理解の分散が大きくなるからある程度の明文化をしない訳にはいかないし、経営戦略の作成・管理に大きな労力を割くべきポジションの人間も出てくるだろう。

また、決裁権所持者の限られる伝統的企業であれば、規模に関わらず成長戦略の明示が望ましい傾向がある。人間は全貌のわからない仕事に従事すると徒労感を覚える生き物なので、モチベーションコントロールの観点からあった方が望ましいと言える。とは言っても、あくまで「望ましい」の範囲だけれど。

 

そんな訳で、成長戦略の必要性はその企業の「決裁権の構造」と「人数」によって(ある程度)決まる、というのが本稿の結論だ。気が向いたら、ぜひ自分の組織を場合分けしてみてください。